恥に思い知らされること
自分がいつになったら使命をもらうことができるのかということばかりを考えているのです。でも選ばれない人っていつまでたっても選ばれない。どんなに努力をしても報われず女性にはそのやる気が伝わらず、やる気だけがから回りしてしまってだんだんそれが無駄なものなんだと思わざるを得ない状態になるのです。努力っていったい何なんだろう。ちょっとやそっとの努力では報われないことを知っています。
けれどもそのちょっとやそっとのレベルがわからない。自分はこれだけやっていると思っていても他人が見たらそのレベルが低すぎるという見解になっているからその努力がいつまでたっても報われないということに気づくことができればこちらの勝ちなんです。大丈夫、そこが「レベル不足」だということに気付くことができれば成長するすべは十分に考えることができます。でもそれが、
「こんない努力しているのに報われないのは周りの頭がおかしいんじゃないのか」
と考えるようになると実はそれまでにやってきたことは努力でも何でもなくなってしまうんです。努力って何のためにやるのか。
存分な人生はだれが感じるのか
自分を成長させるためにやるのか、それとも相手に認められて成果を形に残したいと思ってるのか・・・それはやっぱり本人がどんな風に努力をしようとしているのかを考えることで全然答えが違ってきます。だって度勅なんて目に見えるものでもなければ人に見せるものでもない。それは結果がすべてだからです。
どんなに素振りを一日に何万回やっていてもそれが結果にでていなければ100回しかやっていないのと同じ用に他人は見るんです。一体自分は何のために生きているのか、死にたいと思っていてもしぬことができないし、そんな勇気もない。だからここでは逆援助の世界で思う存分自分が生きている証拠を残していきたいと思うようになるのです。生きていることなんて自分でもわかりません。他人と顔を合わせて、もしくは他人が自分を認めてくれて初めて自分は生きているんだと実感することができるのです。
それでも、他人は認めたとしても一生かけてその人を認めるわけではありません。だって・・・逆援助なんて一生のうちの一瞬の出会いです。女性だってそれがわかっているし、一度きりかもしれないからこそ、そこに貴重な価値観が生まれるのです。それが一生のうちに一生かけて逆援助するような関係性になったらきっとそれはたいして価値観も生きている心地も感じることができない関係性でしかありません。